新しいチーズ BLACK

ビターになって、やってきました。教養をつけたあと、何かしらの活動をしたいと思っていますが、それまでのため息の溜まり場です。

蛾とる子だけが生き残る

蛾というのは楽しい、と大学になってようやく理解しつつある。それは自分にとってとても素晴らしいことだと思うし、大学において気づけたことに(それ以上遅かったらこれからの人生の展望もなかったことであろう)、そのように気づけたさまざまなことに感謝したいと思う。

実際、蛾は楽しい。どれをとっても楽しい。例えばその見た目。本当に多様性に富んでいる。翅の色、形、こんなにさまざまで魅力的な生物種はなかなかいないはずだ。

小さい頃、よく姉と虫取りにでかけた。その多くは蝶、セミ、バッタであった。

蛾はとらなかった。とらなかったに加えてセセリチョウなどとったときも姉に「これは蛾だからとっちゃだめ」などと言われたほどだ。

そんな蛾に触ろうとも、進んで見に行こうともしなかった自分であった。小学生高学年にとなると、蛾への興味はないうえ、虫への興味も次第に薄れていくほどだった。

そうして中学生になった。中学生にもなるとほぼ完全に虫採りはしなくなった。

実は内心は虫とりをしたいと思っていたが、虫とりのような周りのしない人並の外れたことをすると迫害を受けるようなそういう心理が働いた。

そういうことで、虫とりに時間を使うことはなかった。

そうしたなか、あの名作に出会った。
ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」だ。
それまで、昆虫採集といえば、標本を作る範疇では蝶、カブクワという認識であった私であったが、そこに蛾というのが入ってきた。

そうして、理由もなく、標本箱に収められたヤママユガ等の大蛾に並々ならぬ憧れを抱くようになったのだ。

当時は渇望したものだった。しかし、そのような蛾をちゃんと見たこともなく(都会暮らしというのは幾分虚しいものだと思い、未来の子どもたちのために自然を残さないといけない、と常々思う)また、親に虫を殺すなど非道なことだと言われるのも怖く、行動には移せなかった。

高校に進むと、また蛾なんてものは考えず、他のもの(その時は演劇であった)に打ち込むようになった。

クワガタを取りに行くことはあっても、蛾はやはり採らなかった。

そんな自分であったが、その時期爬虫類にハマりだした。

昔から好きであったが、高校生にもなり、バイトで金が入るもそれを爬虫類飼育に費やすようになった。

そこで、トカゲなどを飼育する際、当然昆虫を育てる羽目になるのだが、自分はヨーロッパイエコオロギや、デュビアゴキブリを主に使っていた。

そこで気まぐれにカイコを買ってみた。

爬虫類飼育界隈ではシルクワームとよく言われるが、種々の生物系実験で用いられているのは知っていたし、飼ってみるのもおもしろいと思って買ってみた。

これが面白かった。カイコというのは家畜化された昆虫らしく、人の手がないと生きられない。今ではカイコ用の人工餌があって、わざわざ桑の葉を取りに行かなくてもよく、かなり楽だった。みるみるうちに大きくなっていく蚕はとても可愛く、成虫の姿が見たくてたまらなかった。

でも、全滅した。理由は未だわからずじまい。みるみる数は減り、最後にはぐちゃぐちゃになって全部死んでしまった。

自分は蚕をも殺す、虫を殺す天才であるのかもしれない。それはまた別の話。

でも、その蚕の全滅が自分に間接的にさらなる興味を呼び寄せた。

そして受験生となった。

自然と、北の大地の大学を目指していた。理由はとりあえず生物系の研究のなにかができるであろうという漠然としたものだった。

自分にとって受験はそれなりに辛いもので、腹痛と下痢の続く日々であった。

ある夏の一日、台風警報により、予備校に行けなくなった。

予備校に行けなくなるとなんとはなしに、やる気も出ず、思い切って遊ぼうとも思えず、そんな自分に嫌気がさす中、ぼけーっと物思いに更けていた。

ふと窓に目をやると、ひとひらの蛾が張り付いていた。

結構大きく、裏は赤い。そうしてなんとはなしに、表面も見てみた。

そこには大きな歯車もようがあった。それはきれいなほぼ完品のオスグロトモエであった。

強く、心を動かされたのがわかった。

地味でありながら主張の強い翅、美しいが、人が、女が、化粧をして美しいなあ、などというのとはもっと別ベクトルな、洗練された美しさ。

そのような特別な生物種(もちろんオスグロトモエは普通種の括りではあるのだが、個人個人にとってのトクベツ、というのだ)の持つ自然の息吹のようなものを確かに感じ取ることができた。

自然と腹痛は消え去り、自分をもういちど、机に迎えさせていた。

大学ではなるべく蛾がとれるような、生活にしようと、考えをめぐらせていた